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高崧(こう すう、生年不詳 - 366年)は、中国の東晋の官僚。字は茂琰。小字は阿酃。本貫は広陵郡。 == 経歴 == 高悝の子として生まれた。若くして学問を好み、とくに史書を学んだ。何充が揚州刺史となると、高崧はその下で主簿となった。驃騎主簿に転じ、州により秀才に挙げられ、太学博士に任じられた。父が死去すると辞職したが、喪を5年停止して遺体を葬らず、父の汚名を晴らすために廷尉に訴え、上疏は数十回に及んだ。元帝に訴えを認められて、父の名誉を回復し、建昌伯の爵位を嗣いだ。中書郎・黄門侍郎に任じられた。 会稽王司馬昱が輔政の任につくと、高崧は召し出されて撫軍司馬となった。当時桓温が威権を振るい、北伐のためといって兵を集め、軍を武昌に進駐させたため、司馬昱はこのことに悩んでいた。高崧は桓温に下す親書の草案を書き、司馬昱がそのとおりに清書して送ると、桓温は任地に引き返した。 高崧は騎都尉となり、謝尚の下で鎮西長史をつとめた。後に侍中に累進したが、朝廷の事件により免官された。366年(太和元年)8月22日、死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高スウ (東晋)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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